話題の渡辺淳一さんの「鈍感力」読み終わりました。
最後の章は、やっぱり、今時の子育ての感覚とはだいぶズレている、と感じましたけど。
(最近のおとうさま方は、みなさんもっと積極的に子供のお世話をしてくれます)
で、私自身の「鈍感力」の体験談なのですが、
実は16歳のときに、 「不整脈」と診断されて、10年以上もの間、ずっとこの病気を患ってきました。
17歳でアメリカの高校に留学したときも私の心臓について、医師からの英文の診断書が必要だったほど。
会社に就職するときも、筆記試験、面接と合格してきても、最後の健康診断で落とされてしまう。
それでもどうにか就職出来た会社があったのですが、仕事も忙しく、私はよく倒れていました。
自慢ではありませんが、私はいろんな駅の駅員さんたちの休憩室でお布団敷いてもらって寝かされた経験がたくさんあります。
電車の中でバタン、バタンとよく倒れたからです。
朝の混雑する駅のホームでもよく気を失いました。
こういう状況では、いつも男性が親切に、会社に遅刻するかもしれないのに、駅員室まで運んでくれました。
そしてあるとき仕事中にデスクで気を失い、救急車で運ばれてそのまま入院しました。
不整脈で、ときどき心臓が止まるために、脳に血がまわらない。
入院先の医師の言った言葉は 「アンタは死ぬよ。」
それからも複数の医師に言われたのは、 「この心臓じゃ、将来子供は産めないね」
「出産どころか、結婚も考えないとね」 といった数々の言葉でした。
一度、東大病院でも精密検査を受けたのですが、かなり酷い状態の「心室性期外収縮」で、もしも将来子供を持ちたいと思う時期が来たら、東大病院に相談に来るように、と言われました。
20代前半だった私は一人で誰にも言えずにそういったことを胸の中に閉じ込めました。
子供の頃に母を亡くしていたので、誰にも辛い気持ちを打ち明けることは出来ませんでした。
夜、寝ているとき、心臓がよく止まるので 「このまま一人で死んでしまうのかなぁ」とよく思ったものです。
私は正社員で働いていた仕事を退職し、入退院の生活をした後、薬を飲むことを止めて体を慣らすためにカトリックの教会でボランティアを始めました。
少しずつ、体を慣らしながらアルバイトをはじめ、やがて派遣スタッフとして働き始めました。
心臓はいつ止まるかわからないし、日常生活は明るく振舞っていた積もりでしたが、心の中で大きな不安を抱えていました。
そんな頃、派遣の契約を終えて、一人でイギリスに行ったのですが、スコットランドの景色を眺めながら、心臓が止まったりして、
「どうなっても大丈夫!」というヘンな開き直りの気持ちが生まれてきました。
私の心臓はいつ止まるかわかりませんが、どんな健康な人でも、いつ交通事故にあったり、どこで誰がどうなるのか、誰にもわかりません。
そういうことを一人旅を通して、客観的に受け入れられるようになった気がします。
その後、 「働こう!!」という気持ちが強く芽生えて、正社員での仕事を探し、
某外資系企業への就職が決まりました。
この会社で、たくさんの残業をこなしながら夢中になって働いていたとき、
心電図の検査を受けたら「不整脈」が出なかったのです。
本当に不思議な話ですが、10年以上続いて、いろいろと辛い気持ちを隠してきたのに、この会社に就職してからは、一度も再発しませんでした。
更にありがたいことに、この会社には、やはり辛い人生経験がいろいろある先輩女性社員がいて、それまで誰にも言えなかった私の胸のうちを打ち明けることが出来ました。
この会社やスタッフの皆様と出会えたことは、本当に大きな出来事でとても感謝しています。
結婚のことなど考えてはいけない筈だった私が、いつの間にか結婚もしていて、
東大病院にお世話になることもなく、2人の子供に恵まれました。
「鈍感力」? 心配することを止めたら体も人生も変ってきたのでしょうか。
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by Rosemary-milk
| 2007-04-17 13:27
| 本